S-Lab(すぎちゃれ!仮)

元ひきこもり、脱サラ、借金返済、ポンコツによるビジネス冒険活劇。どん底人生からチャレンジ

打ちひしがれる重要性

人生というのは順風満帆にいかない。思い通りにいかない。それは、ずっとぬるま湯に使って生活していたら、自分の伸びしろに気づかないばかりか、基本的に下りのエスカレーターを逆方向にのぼっているようなものだからだ。そりゃそうだ、人間は歳はとるし、いつかは死ぬ。完全な現状維持なんてできない。

 

いつ変わるか?重要なのは考え方や行動の変化を少しずつすること。悲劇はきっかけにすぎない。

僕がニートひきこもりを自力で脱出したのも、拒食生活による体重激減で生命の危機にさらされた本能的な行動だったということ。これ以上の生活は維持できない。するべきではないという身体からの警告。そこから新聞屋で働いても、その間はたしかに給料はもらってある程度安定的だったけれども、何か自分自身の内面が変わったというと、さほど変わらなかった。と今振り返ると思う。

 

 人間は慣れる。放っておくと怠慢になる生き物。

あなたは今の自分はどうですか?10年前の自分と比べて。十年十日と同じことして、人間関係、金銭面、精神面が変わってますか?成長したと言えますか?

僕は20代はほとんど変わらなかった。失われた20代。三日坊主だし、誘惑には弱いし。いや、つい最近までそうだった。

みんな、大体の人がそんなものです。人間は本能的に現状維持するようにできているから。変わらないことは楽だし、そうやって進化してきたから。

 

ダメな自分と向かい合ってこそ成長する

鬼滅の刃の紅蓮華の冒頭の歌詞にある「強くなれる理由を知った」。これは紛れもない真実だと思っている。もともと、努力できる環境があり、悩みもなく、順風満帆な人生であればたしかに楽だし、苦労はしない。だけども、殆どの人間は、ダメな部分が露骨に原因となって苦労をする。挫折する。とことんやってみて叶わないときにこそ気付く。自分に必要なこと、足りないこと、至らなかったこと。自分の望む未来を得られなかった。つまり、「鬼に殺された」かのような「絶望」「やるせなさ」それらを受け入れ、向かい合って、それでも歩きだし始めて、「心の炎」が静かに、ときに荒ぶるように灯る。

そんな「熱さ」が本岡くんには全く感じられなかった。あえて、言わせてもらったし。

 

いっそのこと何かに突き進み、徹底的に負けることが必要なのかもしれない。

思いや強さというのは、逆境だからこそ生まれるものでもある。

たとえば、僕で言ったらなんとかビジネスで成功しようともがき苦しんだ結果、叶わなかった。破れた。

失敗することを恐れ、挑戦することもせず、変わらなければ、何も起きない。

 

僕はワンピースでこの話が好きだ。

youtu.be

ゾロのように自分も自分の強さ(弱さ)を買いかぶりすぎた。

自分を買いかぶりた結果、身の程知らずが、身の程を知り受け入れる。

 

いまは、そんな自分を受け入れ、また進んでいるわけだが。

 

自分の人生から逃げ続けている人間は、どこかで気づかなければならない

人間はは弱い。すぐ楽をする。それを見て見ぬ振りをする。

自分の弱いところを認めたくない。見たくない。知られたくないものだ。

 

それらを受け入れられるか?

 

「弱さを受け入れることが強さだ」という言葉があるが、それは「ありのままの弱い自分を受け止め、それでも進んでいく」「どんなに時間がかかろうと、少しずつ改善し続けていく覚悟がある」ということだ。

 

この場面、自分が強いと信じて疑わなかった井の中の蛙であったゾロはミホークという遥か強大な存在を知った。死の決意、その覚悟を持って、切られた。

 

そして、ミホークはその決意と覚悟を讃えたからこそ、殺さなかった。

 

ゾロの自己受容に、伸びしろを感じたからだ。

 

ミホークはゾロからしてみたら「越えるべき壁」であり「あるべき理想」の境地なのである。

 

負けを知り、新たに再スタートをするのに、ありのままの自分を受け入れることができた自分と重なる。

 

そういった意味では、僕は人生の大敗北を初めて知った。どん底だった。

 

自分が飛躍した存在なのではないと、心から理解した。

 

そうやって、自分の弱さを見つめる「必要性」に気付き、成長していく。

挑戦してみて、自分の問題点がわかる。改善点がわかる。腹でわかる。

そうやって、具体的な行動や結果に結びついていく。

 

何も挑戦しないやつに未来はない 

 今の時代は変化の時代。いわば曲がり角。環境の変化の淘汰圧に耐えられるか?もちろん自分も例外ではなく、食われるがわの人間であったと思う。

 

しかし、本当に手遅れになる前に気づけたと思っているし、まだまだ挽回可能な状態で良かったと思っている。

 

前途多難であるけれども。