人間の感情とは不思議だ。
気分によって変わるし、同じ日でも、時間帯によっても上下している。
今日の朝は、なんだか「悔しさ」とともに起きた。
考えてみたが、これは自分自身の現状に対する「悔しさ」みたいだ。
「不満」や「ふがいなさ」、「怒り」ともいっていい。
「内なる怒り」だ。
「欲」や「感情」というのは人間にとって、強い「動力」だ。
それらの動力をどう理性的に使うかが、大切なんだ。
社会的に見て、それらが外に向かうと、危害を加えたり、社会的に問題を起こすような人間になってしまう。
それは僕自身もわかっている。
世の中のアウトローのような人はそのコントロールの仕方と実践がうまくいかなったり、道を踏み外してしまっただけなんだなと。
人間はすぐ忘れる。
人は忘れる生き物。常に忘れる。
人は過ちを繰り返そうとする。
自分がこのブログや情報発信するのも、書いてるのも、原点や想い、自分が動くための常に忘れないために書いている。
いわば、戦争の慰霊碑のようなものかもしれない。
失ってしまったもの、過去の過ちを忘れず、次は絶対に同じ過ちを繰り返さないようにするための自分の心に刻む、モニュメント。
いいとか、わるいとかの前に、自分なりの装置とも言える。強力な装置。
誰がなんと言おうと、自分が自分を律するための原点。
感情という原点。
それが、この「悔しさ」にも現れているのだろうか。