S-Lab(すぎちゃれ!仮)

元ひきこもり、脱サラ、借金返済、ポンコツによるビジネス冒険活劇。どん底人生からチャレンジ

「セッション」フレッチャー教授が教えたいもの

www.sugihappy.com

 

 この記事で少し紹介した「セッション」についてです。

 

 

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僕は最初この動画を見て

 

「なんかよくわからない動画だな」

「フレッチャー教授、そんな暴力振って意味あんの?」

 

みたいな感想でした。

 

うん。わかります。

 

今でいうと、体罰は倫理的にダメとか、批判的になる時代になりましたが、考え方によると、要するに、「自分の頭で必死に考えて解決できるなら、良い」わけです。

 

「暴力や暴言」は手段です。

手段は目的は問題の解決にあります。

 

ニーマンでいうと、彼の音楽の才能を開花させるという目的。

 

そのために、フレッチャー教授は「暴力や暴言」という手段を使って「目的を達成」させようとする。

 

高みを目指すもの、到達したい者は相応の厳しさを迫られる

フレッチャー教授のスパルタ鬼教育指導はもはや、アメリカ軍隊のシールズの地獄の訓練を彷彿とさせるものです。

 

今の普通の義務教育では体罰は絶対ダメとされてますけど、あくまで抽象論です。

僕たち現代人は「努力への追求」「日頃の鍛錬」を振り返ったときに、「自分自身の目標」を達成するために、「どれだけの誘惑」や「

 

別にやらなくてもいいが、あなたはその資格がある?

いや、別に、自分が「楽して成功できる」なら、そんな無理してやらなくてもいいんです。

「楽して成功できる」ってそんな多いですか?

「楽しい」「やりたい」と思うことでも、苦しい時期はあります。

ちょっとやそっとのことで、投げ出していたら、何も手に入らないですよね。

 

そして、人生をそういう判断基準の、生ぬるい環境で生きれば、一生、その他大多数の人間になるだけで、コモディティ化して価値のない人間になるというだけです。

 

そこにもはや、善悪は存在しません。これは自由意志なので、それは選択する本人のアイデンティティーでしかないわけです。

 

そういった意味で、ニーマンは偉大な「ドラマーになりたい」といって、あんなかわいい彼女を捨ててまでストイックになれる人間を見て、なんだか、欲を捨てるってああいうことなんだなと。

 

そこまでして、成功する意思があるんだなと。

 

プログラミングやブログに人生を投げ出す自分と少し重なるわけですが、まだまだ、彼みたいな狂気が出ていないと反省する次第です。

 

でも、教育は変わったし、効率になってきた

確かに、前時代は、インターネットもないですから、スキルやノウハウが閉鎖的で、共有されない時代でしたから、こういった、暴言や暴力で教育するという手法は原始的です。

多分、狩猟採集民族の狩りをする親子は、うまく狩りを出来ない子供にげんこつでおしえていたことでしょう(笑)

 

現代でさえ、家族間のDVや暴言による「教育?」は子供を適切に教育できない

「親の知識不足」と「感情のコントロール」というのができない、ある意味で知能が低い人間が露呈した結果なのです。

 

どちらにしろ、経営や自営業者の人は、自分の頭で考えるという習慣がないと生き残れなくなってきてます、人に教えてもらってなんぼ、先生なんだから、自分たちを理解させてくれよ、みたいなおバカさんはいるみたいです。

 

成功したいなら、もっと努力しろ

 

ようするに

 

「必死の努力をしろ!気付きが足らない!」

「もっと努力しろ!追求しろ!」

 

「(だけど)、答えは(お前の中にあるから)俺にもわからない!」ということ。

 

そりゃ、そうですよね。エスパーじゃないんだから。

 

相手の人間の何が足らない、とか、ボトルネックになって

「うまくいかないのか」というのは、とても分かりづらいのです。

 

僕は、せどりのコンサルの同期生で、女性の方とですが、明らかに時間があって、時間効率が悪い、生活習慣が悪い、生産性が悪いのがボトルネックになってて、せどりのリサーチの根気が続かないという方がいて、あらゆる効果のある朝活を誘いましたが、全く連絡がなくなりました。

 

前にせどりで付き合いのあった、O君もそうったところに問題のある人だったように思いますが、せどりやるだけでは、特に問題ないというか、必要性を感じなかったんでしょう。まあ、普通にリサーチできてたし。

 

彼女も、他の大多数の人間のように、欲に負けつづければ、いろんな「気付き」を逃していくでしょう。

 現代社会のブラック企業のパワハラ

そうしてみると。最近では、利益を追求する会社も上からの支持で、上司のパワハラが起きる構造は、上司自身も答えがわからない中、部下に仕事の成果を出させるのが、その上司の役割であるからして、悪人にも一部の理があるように思えますが、どうなんだろう。

 

もちろんメンタルヘルスに支障をきたして、会社を辞める人も能力不足とも言えるし、会社の指導力不足とも言えるし、そもそも、その会社の体質や方針からして、解決できない無理難題をやっているのか。

様々な要因があると言えそうですね。

 

知識は豊富にある

情報化社会で格差がどんどん広がる原因はここにもあります。

 

着実にチャレンジし、新たな情報を活用し、事前に学び、愚者が陥るような失敗を未然に防ぐ。失敗しても、高速で学習し、改善する。

 

情報格差は情報商材やコンサル事業にも現れています。

それがビジネスになる理由はこちら。

 

最近は心理学やSNSも発達して、情報の共有が簡単にできるようになりました。

 

だから、体罰に頼って、自分の頭で考えさせる教育よりも、適切に情報を与えて、コーチングする技術が出てきたとも言えそうですね。

 

自分で探し出し、這い上がれというメッセージ。

 

エウレカセブンでいう、「ねだるな勝ち取れ」という言葉の意味にもにてるかもしれません。

 

挑戦するからこそ気付き

僕でこそ、いまでこそこんなことはなしていますし、偉そうなことを言える結果ではないです。

 

でも、10年前、ニートひきこもりしてたときの自分にこんな話をしたところで、100%響かないでしょうね(笑)

 

自分自身はどこまでストイックさがあるのか

ニーマンが退学したあとに、ピザを食べながらとあるジャズバーでフレッチャー教授のジャズショーの看板を見つけます。気になったニーマンはその店に入ります。

そこでは、フレッチャー教授が、ゆっくりとピアノを引く姿が。

 

演奏が終わり、彼と目があったニーマンは目をそらし、帰ろうとします。

そして、フレッチャーがその彼を呼び止めて、二人で話すシーンに。

 

そこで、世界的に有意名になったチャーリーパーカーの話をします。

 

「10代の頃サックスの名手だったが、ジャムセッションで、下手をおかした」

「ジョー・ジョーンズにシンバルを投げられ、笑われながらステージを降りた」

 

「そして彼は、その夜、泣きながら寝た。そしてその翌朝は?」

「練習に没頭した」「来る日も来る日も、一つの誓いを胸に」

「二度と笑われまいと」「そして一年後にリノ・クラブへ」

 

と話す。

 

「因縁のステージに立つと、史上最高のソロを聞かせた」と。

 

そこで彼は「ジョーンズがこう言ったら?」という

 

「上出来だ(GOOD JOB)」

 

彼はそういった、「上出来」だという言葉こそが危険だと。

 

自分自身を慢心させる、その気持ち、努力の追求をやめたことこそがジャズをの凋落を始めさせたと。

 

この点は、時代に合わない音楽やムーブメントが変わったというもので、いくら独りよがりに自分の考えるアートや芸術を追い求めても、評価されなければしょうがないと思うのですが。。

 

もちろん、岡本太郎のように原色を使ったアートを先駆けて、自分の芸術と考えて、自分なりの芸術を追求して、結果的に認められるわけですが。

(彼は本心で自分の芸術のみを追い求めていたのか、それとも人に認められるとおもって自分の芸術を貫いていたのかはわからないですが。)

 

ともあれ、人生とは自分なりのアートであり、再現性です。

なにを、どこまで追求していくのかはその人次第ですよね。

気付きとは、想像力や行動したときの必要性や危機感

僕の母はまだヘルニアの後遺症で生活レベルが下がってることはお話しました。

助けてあげたい気持ちはあります。

 

それは子供ながらに不幸な将来イメージできるし、そうなってはならないという危機感があるからです。

 

(僕は絶対成功して、救ってあげたい気持ちもありますし、現時点で、長い目で見て、親からの支援をもらうことが最短、最良、最善で良いことだと思っていますが、これはまた別のはなしですね。)

 

そんなかんじです

 

 追記:と思ったら、音楽をやっていた方がの解説でよくわかりました。

 

僕の解釈だと、自分の中の「ジキルとハイド」つまり「本能と理性」の戦いを表しているのだと思います。

 

音楽家という「報われることの少ない狂気の世界」で「ニーマン」と「フレッチャー」という、むき出しの「本能」と「理性」がぶつかり合い「成功」という「セッション」が成就する。

 

 

それが、最期の9分間のシーンで互いのせめぎ合う

 

「ニーマン(内在する自分という未熟な存在=獣・本能)」と

「フレッチャー(その未熟な自分を鍛える存在=調教師・理性)」

 

が最高のセッションを「成功」させるからこそ、輝く。

 

これは、僕らは、人生の中で何かしらの挑戦をし、自らの未熟さ弱さ(本能)を克服し、自らを社会的成功もっていこうという意思(理性)で持って飼いならし、成功していくということに重なります。

 

あー、なるほどなぁ。。

 

要するに、ニーマンとフレッチャーという存在は、自分の中に存在する、本能的な弱さとそれを克服しようとする理性というものを抽象化し、日々、人間の本能と理性というせめぎ合う、脳の二面性を表現しているとも言えます。

 

(音楽家の世界も厳しいんですね。。)

 

偉そうに「セッション」フレッチャー教授が伝えたいもの

 

なんてタイトルをつけてる割には、理解が浅かったわけですね。。

 

映画というのは改めて見るとちゃんとした理解や解釈がいろいろあって楽しいですね。

 

ところで、僕の「プログラミング挑戦」は「狂気の世界」なんでしょうか?

 

そこまで身が持つか?

 

なんて考える必要もなく。。

 

毎日、「感情」と「理性」のセッションをしながら、平常心で乗り越えていきます。

 

衝動性や環境は整えた。はず。脇目を振らず、あとは突っ走るだけです。