すぎちゃれ!

元ひきこもり、脱サラリーマンによるビジネス冒険活劇。どん底人生からいろんなチャレンジを通して書いてます。

【重大発表】僕の現状を書きます&自己紹介【この3年間のすべて】前編

こんにちは!はじめまして!

 

すぎちゃんです! 

 

自己紹介します!

 

1986年7月15日生まれの34歳です。東京都府中市出身。

 

僕は今、フリーランス修行中。

来年は必ず1000万稼ぐためにプログラミングを勉強中。

 

2020年7月の後半から、コロナ禍で、ビジネスや自分自身の内面的な問題で

身動きの取れない中、先行きが不安な中、切羽詰まった矢先、今の生活を変えなければと、朝活を開始しました。

 

 そして情報発信として、ブログスタエフYoutube TikTokゲーム配信という風に、チャレンジしています。

 

来年はWebフリーランスを軸に、ブログ、Youtubeの活動を広げて行こうと思っております。

 

そして、借金300〜400万くらい。そのほとんどが、ビジネスやコンサル費用、生活費です。

 

 軽い自己紹介はここまでにして、ここからはこの3年間で僕がたどってきた

軌跡をお話したいと思います。

 

今から3年前の2017年9月

当時31歳のときにある「きっかけ」

もともとゲームが好きでひきこもっていた、僕はなんの目標も夢もないまま、日々を暮らしていた。

 

(今、思うと、それらの思いが、感じていた「原体験」がここにあったのだと思う。)

 

もともと新聞配達の経験はあった。定職にはつかず、新聞配達の仕事を2,3回繰り返して、途中ギャンブル依存になって、人生が崩壊しかけていたときもある。

 

それは別項に譲るとする。

 

2年近くに及ぶ、ニートひきこもり生活と、1日1食という拒食に近い状態は、ゲーム依存とも言うべき、自分にとって、感知すらできない問題だったらしい。

 

高校時代、陸上を3年間やっていたときにはピーク時58キロあった体重が

40キロ近くまで、落ちていた。

 

そうだ、ある日、自分のやせ細った足の細さ、フラフラになっている感覚に気づいたのだ。

 

「このままではやばい。死ぬ。」

 

生命の危機を感じた、僕はニートひきこもりに対しては「やめなきゃ」

とは思っていたものの、その依存的な生活にすっかりはまり込んでいたが、さすがにやばいと感じたのだ。

 

本能的危機。飢餓感。生への欲求。

 

それらが、僕の行動力に理屈付けをして、呼び覚ました。

 

「仕事しよう」

 

anの求人広告で「新聞配達」を探す。

 

これまで、新聞配達のアルバイトは断続的に2つ経験していた。

 

千葉の販売店だ。正直。どこでもよかった。

 

面接をする。

 

そこの当時の店長は同じ31歳で東大出身という異色の経歴で意気投合。

 

奇しくも、高卒後、僕がもはや挫折しかかって、そのときはほとんど諦めてた「東大受験」という関門をくぐり抜けた人だった。。

 

31歳にして千葉の新聞販売店にはじめての就職をするのだった。

 

 

2017年11月、突然実家から電話が来る。

働きはじめて、特に問題もなく、働いていた。

新天地の生活はとても、良かったのを覚えている。

初任給こそ少なかったが、好きなご飯を食べれる自由、新しい環境で、何かしらの発見がある楽しさ。

周辺は、バイクで5分くらいのところにセブンイレブンと中華料理店しかないという、不便なところだったが、特に不満もなかったように思う。

 

そして、働いて2ヶ月後のある日、実家から電話がかかってくる。

 

「大変なことになったよ〜」

 

何かあった声で、心配する僕。聞き返す。

 

「腰が動かなくなっちゃって、、」

「痛くていたくてたまらないよ〜」

「死にそうだよ〜。。」

 

悲壮な声を電話口で話す母の声に、驚いた。

2ヶ月前、あれだけ元気にしていた母が、ひどく取り乱すように話している。

 

当時64歳(?)母親が急にヘルニア発症。生活レベルが極端に低下、出歩くには杖をつかなければ生活に突入し、定年退職したばかりの父が、家事炊事をほぼ肩代わりするという生活に突入。

 

理由はほぼほぼ明確で、運動不足かストレスよるものだ。

もともと、肥満体型で、前傾姿勢になりがちだった母は運動不足と加齢による筋力低下が合わさって、腰に負担がかかるような生活をしていたのだ。

以前から、膝も痛いと訴えており、僕は軽く心配する程度だった。。

 

すぐさま、心配した僕は、近くの整骨院に母を連れていかせて、日々のリハビリを行うよう、言い残し、千葉での正社員生活に戻る。

 

後に、僕が退職する2020年10月現在も、自助努力でリハビリ、親父によるサポートもなく、未だに生活レベルが低下したまま、生活している。継続的に啓発しているが全く意に介さない。彼らはそういう未来には現実感がないらしい。

(もちろん、僕がニートひきこもりをしていたときに将来への危機感が希薄だったように)

(だから、現在、僕が頑張らなくてはいけない根拠の一つが、母の老後問題である。このまま不摂生な生活を継続し続ければ、健康寿命が尽きて、いつ、自宅内での事故や、不慮の病気が発症し、認知症に発展しても、おかしくないわけで、最悪の不可逆な状態になる前に、年齢寿命の前に尽きる、健康寿命を伸ばしていかないと親子共々不幸なことになるは目に見えているのである)

 

長くなるので別に現代の老後問題について考えてみたいと思う。

 

2018年〜2019年 1年間は仕事は真面目に 平凡に

新聞販売店の生活の方はというと、日が変わり、1時〜4時半くらいまでは朝刊配達

昼はだいたい12時出社、営業1時間程度し

その後の14時頃には2時間程度の夕刊配達をして、返ってきたあと17時くらいから、19時くらいまで営業。

締め作業をするうちに大体20:30〜21:00、月末の集金や本社に報告する定数作業のときは22:00になることもザラだった。

 

そして、そこから寝て、翌日の1時からの配達に備える。

 

ちなみに、僕は遅刻魔で、迷惑かけていたし、定数作業の理解が辞めるときに7割程度自分でできるというくらい要領が悪かった。

 

仕事ぶりに関しては、別項に譲るとする。

 

真面目に働く。可もなく不可もなく。1年半近く経つ頃、サラリーマン生活に飽きが来る。

 

2019年4月、とあるきっかけ

とあるオンラインサロンに出会い、脱サラ決意する。

これにも、ちょっとエピソードがあります。

 

2019年6月末 退職。

新聞屋を脱サラしてからというもの、退職前に与沢翼の投資サロンのマーケティング広告を見かけ、衝動的に入る(ここからカードを切りはじめて再び借金生活)

 

2019年7月始め 新天地へ

きっかけとなったサロンが近くにある、六本木のワンルーム17㎡で1ヶ月10万する住まいを移すという暴挙とチャレンジに乗り出した。

 

新天地にワクワクしながら、胸をときめかせ、何をやるか具体的に決めないまま日々を過ごす。(合宿なんかも行ったのだけれど、そこでミスターサタンになるという夢を表明する)

 

そのうち、オンラインサロンのやり方やマインドに合わなかったため、行く回数が極端に減る。

 

2019年8月 動画コンサル学校はいる

 

某動画オンラインスクールに入学する。

動画ビジネスがこれから来るというマーケティングに心躍らせ、確固たる夢、HIKAKINさんのようにスターになるという妄想を振り回し、70万という入学金を払い入学する。

 

2019年10月 仮想通貨に手を出す

ここで仮想通貨事業に参画して結果全額損失させる。50万ほど

換金の方法やシステムがわからなかった。正直HYIPと呼ばれるものだった。。

正直、仮想通貨界隈の情報弱者もいいところだった。

信頼できる人からの紹介であったので、それを精査する間もなく投資。

余裕もなかった。

 

お金がすごい勢いでなくなっていく。

 

後編へつづく、、

 

こうしてみるとマーケティングの餌になってる。

 

学校は良くても自分が駄目だと意味ないんですよね。

 

それを、その後、さんざん味わうことになります。。

 

リテラシーのなさを露呈させていて、自分でもびっくり。

 

とりあえず、今回はここまで。。

 

また明日後編書きます。