最近、僕がADHD傾向も人生での苦労の原因だと、知り、その情報を探し、ツイッターをさまよっていると、
さんという方を発見。経歴は割愛いたします。ちなみにとても面白いです。
僕個人としては著書も読ませていただいて、2冊ありました。こちらとこちら
実体験に基づく、ADHD特有のエピソード、具体的なハックの仕方、行動、二次障害で躁うつ病を患った経験からメンタルの部分での対処の仕方など、とても共感できます。
書評は別項に譲るとして、今回、話したいのは「ツイッターを見てて」気付いた点。
毒のあるようなタイプで、ツイッターではひたすら、自説を展開し、その表現は暗喩的な物が多く、独特な感じがいたします。面白い。
余談ですが、僕の20代は断続的にニートひきこもり時代を経験しており、そのときはよくネットをしていて、2chやら他の掲示板で活動していた青臭い時代があります。そのほとんどが大学受験関係なんですけど、今では笑える話です。
ぜひ、「おせんべ 大学受験サロン」で探してみてください。
とまあ、そんなこんなでネットによく書き込んでいたときは、
よく「世の中の真理はなんなのかとか、これはどういうことなのか」
みたいな批評家気分になって文章を投稿していました。
いや、今でもそうですね。変わらず。
で、今回、借金玉さんのツイッターを見て思うのが
「世の中を記述しようとしすぎ」て「オーバースペック」なんじゃないかということなんですよね。
これ、自分にも当てはまっていて、なにか物事があったとして
「どういうことなのか突き詰めて、考えて本質の本質の本質」くらいまで考えようとして次の連想ゲームが始まってしまって、際限ないんですよね。
これが永劫回帰という意味です。
借金玉さんはコラムも書かれていて、職業上、作家さんらしいといえばそうですけど、過去に経営もされてたわけですが。昔の文豪も精神病を患っていたし
これは生き方の選択でしかないないなぁと。
で、僕はいまでも「世界の全てをを記述したい。知りたい。」という、ADHD特有の好奇心満載で突き動かされるときもあるんです。
しかし、そうやって突っ走ってると、やっぱ疲れちゃうんですよね。
考えてみたら、あまりに「人生の時間が足らない」し「実利が少ない」んです。
もちろん、哲学的思考や、哲学、文学がもたらす現代人への知恵は軽視されがちだし、敬意を表すべき学問なんですけど、そのバランスが難しい。
一応、自分自身は実業向きで、表に出たいタイプなんで、もう少し、思考と行動のバランスを取ってみたいなというわけであります。
最近、あんまり考え込みすぎる前に
外に出て、筋トレしたり、プログラミングしたり、してるわけですよね。
まあ、人生のそのときどきのフェーズで選択する手段は変わってくるわけで。
そんな感じ。